近頃日本各地で猛威を振るっている某ウイルスであるが,全国の野呂さんが,同僚や友人から掛けられる駄洒落にイラつく日々を送っている事を思うと,同情を禁じえない.
きっと彼らの間では家族、または同じ姓を持つ者だけが唯一心を許せる同士であり,本人たちに全く非がないにもかかわらず一方的に続く迫害の日々が早く過ぎ去ることを祈って春を待っているのだろう.
朝,出勤や登校の前に家族が団結して,その日一日苦痛の中を生きることを誓い,夜,再びお互いが一日を耐えたことを喜び励ましあう日々.
日本で久しく失われていた家族の絆がここに蘇る.
「俺はノロウイルスに感謝している.急性胃腸炎が流行らなければ家族で食卓を囲むことはなかったから」
不良息子のセリフに涙を流すこと請け合いである.
人は壁を乗り越えて大きくなるのだ.


ところで幸か不幸か俺の交友関係は非常に限定的であって,野呂さんという知己は存在せず,そのおかげで野呂さんに向かって「このバイキンメン」という何のいわれもない心無い言葉をかけることもなく,相手に不快な思いをさせずに済んでいる.それを思えば,やはり全国の野呂さんは,俺と知り合いではないことを感謝して,俺に礼状やら金一封やらを送っても罰は当たらないのではないかと思ったりするのだが,いまだ何の音沙汰もない.
なんでですか?